選挙の教室は、選挙を変え、日本の政治を変えていくための勉強の場です。選挙に関する様々な情報を収集し、これからの選挙はどうあるべきかを皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
なお、このブログには、「早川忠孝の一念発起・日々新たなりー通称早川学校」掲載記事の外、選挙記者による投稿記事等を掲載しております。
☆早川忠孝のプロフィール
元東京弁護士会副会長、元衆議院議員。昭和44年自治省に勤務、富山県庁に出向して富山県選挙管理委員会書記等を経験。新しい選挙制度研究会代表。
連絡先:〒102-0093東京都千代田区平河町1-7-10平河町Sビル3階太陽コスモ法律事務所E-mail:tadataka-h@live.jp

公募で選ばれた候補者へのメッセージ

新しく公募で候補者に選ばれた方に(11)-とにかく楽しくやろう

2011-01-18 13:34:59 テーマ:選挙


いよいよ今年の〇〇選挙に向けての選挙準備体制を固める大事なときである。


私が尊敬する中堅の弁護士から、次の〇〇選挙に〇〇党から立候補する予定の友人の弁護士のためにお知恵を拝借したい、という話がきた。

これまで何度か選挙の実相についてはこのブログで取り上げてきたが、改めて整理するのもいいかと思って、思いつくままに書き連ねてみた。


まだまだ選挙については語るべきことが多いが、いささか読者の皆さんはうんざりされるかも知れない。

当面のところはこの程度に止めておくことにするが、いい人にはどんどん名乗りを上げていただきたい、というのが私の願いである。


いい人が悪い人にならないようにしなければならない。

いい人が思いもかけず事故にあわないようにしなければならない。

そのために、本当のことを伝えておかなければならない。


そういう思いで書いてみた。

とりあえずのまとめを書いておこう。


選挙は楽しくやろう。

いいことをやるのだから、きっといいことが沢山ある。

始めたら最後までやることだ。


成功の秘訣。

勝つまで戦う。


簡単なことだ。

新たに公募で候補者に選ばれた方々に(10)-正しい情報収集のための目と耳を持つべし

2011-01-18 13:33:42 テーマ:選挙
森羅万象山川草木悉皆我師となるかならないか。

ならない。

みんなの言うことを同じように聞いていたのでは、迷うばかりでどこにも行けなくなってしまう。

謙虚は美徳である。

しかし、肝心の自分がなくてはその謙虚には意味がない。

周りに流されないためには、十分の研究を遂げておくことである。

自分の立ち位置を確立しておくことだ。


耳はどうしても二つ必要だ。

確かな二つの耳を持つことだ。

一つだけでは、変に聞こえてくることがある。

右の耳で聞いたことを左の耳で確かめるくらいの慎重さ、賢明さが必要だ。


二つ以上持つことはない。

一つだけでは当たり外れが大き過ぎる。

二つが丁度いい。


二つの耳は、二つの目にも通じる。

目と耳は、二つあって役に立つ。


それでは口はどうか。

口は、絶対に一つ。

自分の口だけにしておいた方がいい。


どういう目と耳がいいか。


一番親しい友人の目と耳がいいだろう。

一番難しいのはもう片方の目と耳だ。

地元の選挙通の方々は口は出すが、なかなかいい目と耳は貸してくれない。

公募で候補者に選ばれるというのは、実は本当に必要な目と耳を持っていないということである。

何とかこれを補わなければならないのだが、これが難しい。

自分を担ぎ出してくれた地元の有力者がいれば、その人をもう一つの目と耳にすればいい。

自分から名乗りを上げたのであれば、自分の運を信じて、エイヤーでもう一つの目と耳を選ばなければならない。

これは仕方のないことである。

新しく公募で候補者に選ばれた方々へ(9)-ひたむきさが最大の魅力

2011-01-18 11:17:17 テーマ:選挙

細かなテクニックなどは、知らなくてもいい。


随分上手に物を言う人がいるが、上手だからいいというものではない。

訥々とした話し振りの方がより共感を呼ぶことが多い。

自然体で人の心をグッと掴んでしまえるような人は、たいしたもんだ。


本当の話を一つだけ、いつもすればいい。

自分にしか出来ない話。

いわば自分の原体験である。


人間は、結局大したことは出来ない。

出来ないことが分かっているからこそ、自分だけの目標に徹底的に拘ったらいい。

これだけは必ずやり遂げる。

これだけは自分の力でなければ成し遂げられない。

そういうことを一つだけ持っていればいい。


たった一つでいい。

これだけは人よりも優れているところを持っていて欲しい。


早く愛称で呼ばれることだ。

その愛称で人柄がすぐ分かるような愛称をつけてもらうことだ。


若い方々の最大の魅力は、ひたむきさである。

そのことがよく分かるような愛称。

結構これが難しい。


私の「チューコーさん」は、果たして愛称だったのか。

最近は、どうやら校長先生がお似合いのようだ。
しかし、これも本当に愛称なのか。

新しく公募で候補者に選ばれた方々へ(8)-候補者は重い荷車を引くようなもの

2011-01-18 08:42:00 テーマ:選挙

この道には近道はない。

出来るだけ平坦な道を選んで歩むことが大事だ。

遠回りしてもいいから、大道を歩むことだ。


私はもともと車が運転できないから、歩くのは苦にならないが、普段車に乗り付けている人にとってはちょっと苦しいかも知れない。

しかし、それでも、さっと一直線に自家用車で目的地に乗り付けるようなことは考えないことだ。


大八車などご存じないだろうが、車は車でも精々が荷車だ。

しかも自分が荷車に乗るのではなく、自分がその荷車を引いていくのだ。

腰が高すぎると自分が浮いてしまう。

腰をグッと落として、腹に力を入れてしかも前傾姿勢を取らないと、到底前には進めない。

一歩一歩踏みしめていく感じである。


そもそも重い荷物を載せているのだから、重い。

重いが、しかし動き始めたら動く。

最初の一歩が踏み出せたら、それでよい。

最初の一歩だけは、どうしても自分の渾身の力を振るって踏み出さなければならない。

そのくらいの力はある、と皆が認めたから候補者に選ばれたのだから。

新しく公募で候補者に選ばれた方々へ(7)-酒には呑まれない

2011-01-17 20:13:38 テーマ:選挙

お酒を呑むと、頭が悪くなる。

そう思っておいた方がいい。

頭が悪くなるから、お酒を呑まないことにしている、などとは決して言ってはいけないが、自分の心の中でそう呪文を唱えておけばいい。


お酒が出る席は多いだろうが、お酒を呑む時間はないはずだ。

自分でお酒は呑まない。

呑まないったら、最後まで一滴も呑まない。

思い切って、呑めなくなることだ。


その代わり人に注いで回る。

どんどん注いで回る。

回り始めたら最後まで回る。

くるくるくるくる、駒のように回る。


絶対に酒に呑まれては駄目だ。

人を酔わしても自分は酔ってはならない。

もう十分夢を見ているのだから、それ以上お酒で酔う必要はないではないか。

すべてが仕上がったところで、家族とひっそり祝杯を上げればいい。
それまでは呑む暇はない。

もう一度言う。

絶対に酒に呑まれてはならない。

他人は酒に呑まれてしまうような人を忘れてはくれないものだ。

新しく公募で候補者に選ばれた方々へ(6)-家族を巻き込まない

2011-01-17 18:56:29 テーマ:選挙

立候補するのは貴方であり、貴方の家族ではない。

家族の協力なくして立候補などあり得ないが、選挙に家族を巻き込むことはしてはならない。


実は、これは不可能な呪文である。

どんなに家族を巻き込むな、と唱えても巻き込むようになるもの。

独身ならともかく、家族がいればどうしても家族が中に入らないと上手く回らない。

そういうものである。


しかし、家族を中に入れると潤滑油にもなるが、ブレーキにもなる。

実際はブレーキになることが多く、ブレーキが働いて傷つくのは家族である。


家族は巻き込んではならない。

選挙を知らない人が長年選挙をやった人たちと同じように動けるはずがない。

家族が中に入ると、周りの人は候補者に言うべきことをすべて家族に言うようになる。

候補者本人にはとても面と向かって言えないようなことも、家族には遠慮会釈なく言う。


これが辛い。

色々な注文や苦情がどっと家族に押し寄せてきたら、大抵の家族は潰れてしまう。

家族はそっと脇にいるだけでよい。

家族が表に出て選挙を仕切るようになったら、大抵はそこで誰かがはじける。


家族が何でも仕切るようになるのが一番危ない。

誰も本当のことを教えてくれなくなる。

家族は最初から選挙には関わりがないもの、としておけば、傷つく度合いは格段に減る。


それでも家族が傷つくことを完全に防ぐことは難しい。

選挙に出るのなら離婚します、というしばしば聞く言葉は、本当である。

本当に離婚している人たちがいる。


小泉元総理もその一人である。

家族は人一倍大事にしなければならない。

そういう難しい条件を乗り越えて議席を獲得できた人は、間違いなくひとかどの人物である。

新しく公募で候補者に選ばれた方々へ(5)-怪我も弁当も自分持ち

2011-01-17 16:19:50 テーマ:選挙

公募で選ばれた候補者だろうと、周りから推薦されて担ぎ上げられた候補者であろうと、候補者になればみんな同じである。

そのことをよく知っておいた方がいい。


候補者になった時点から戦いが始まっている。

誰かが何かをやってくれることはない。

全部自分で始めなければならない。


大事なことがある。

怪我と弁当は自分持ち、ということだ。

自分の食べるものは、自分で用意しなければならない。

大食いの人はそれなりに、少食の人もそれなりに自分で用意する。


誰かを当てにしてはいけない。

当てにしていると、食べ損ねて存分な働きが出来なくなる。

肝心のときに兵糧が不足している、というのではみんなが困る。

弁当は自分で用意するものである。


くれぐれも事故に遭わないようにしていただきたい。

まず、誰も助けてはくれない。

事故に遭うのが悪い、くらいの感覚でいるのがいい。


天は自ら助くる者を助く。

古来、そう言い習わしてきている。


何をどれだけやったらいいのか分からない世界に飛び込むのだ。

本当のことを教えてくれる人を出来るだけ早く見つけることである。

運がいい人は、危ない目に遭わないでいい結果を出すことが出来る。


Good luck!

新しく公募で候補者に選ばれた方々へ(4)-3分間スピーチ

2011-01-17 14:36:34 テーマ:選挙

予備選挙を経て選ばれた方なら心配ないと思うが、単なる書類審査や面接の結果で選ばれた方の場合は、特に演説の仕方を練習される必要がある。


どこの会場に行っても挨拶が求められる。

沢山言いたいことがある方は、話し始めたら止まらなくなることがある。

あれも言いたい、これも言いたい。話すことが大事な仕事のように錯覚してしまう。


むしろこういう人は、話をしないことを目標にしたらいい。

何か他人様とは違ったところがある、くらいな印象を残せば十分である。


何も話すことがない人は、どうするか。

さっさと選挙の場から離れることである。


さて、話をする場合は、3分間で大事な話をすることを心がけられたらいい。

そのためには、話す内容は3点だけに限定すること。

中味のない話でも、大きな声で話せば元気がいいと思われる。

大きな声で話すためには、しっかり息を吸い込んでゆっくり話すことが必要になる。


もっとも3分間で大事な話を立て板に水のような調子で喋る、という独特の技が求められることもあるので、まあ緩急自在に話が出来るように練習されることだ。

3分間スピーチは、選挙の候補者でなくとも役に立つ。


官房長官に就任した〇〇氏は、3分間スピーチの天才だろうと思う。

中味は今一のところがあるが、あの切り返しのスピードの速さは並大抵のものではない。


もっとも、新しく公募で候補者に選ばれた方にはああいうタイプの3分間スピーチはお勧めしない。

念のため。

新しく公募で候補者に選ばれた方々へ(3)-公募するにはそれなりの理由がある

2011-01-17 11:14:04 テーマ:選挙

公募によって選ばれた、ということは、選挙関係者から見て一定の資質があると認められたということだから、そのこと自体誇りにしてよいことである。


しかし、公募で選ばれたからそれでよし、という訳にはいかない。

それこそ現職の国会議員が刑事事件で逮捕され失職したとか、急逝して後継者が見つからない、などという特別の事情がない限り、公募によって選ばれた候補者の前に広がるのは茨の道である。

皆から担ぎ出されて候補者になる人よりも、条件は厳しい。

すべて自分の力で道を切り開いていかなければならない。


選んだ人たちが何か役に立つかと言えば、大抵は役に立たない。

選んだ瞬間に、それでお仕舞いだ。

選ぶことは選ぶが、選んだ後の結果までは責任を負わない。


これが、現在の公募の実態である。


今から公募で候補者を選ぶ選挙区は、8割方は当選が難しい選挙区だということを覚悟しておいた方がいい。

いや、極端なことを言えば、当選することが殆ど不可能だからあえて公募した、と言った方がいい。

当選できるのであれば、市長や県会議員や市会議員の中の元気のいい人が既に名乗りを上げていたはずだから、今の段階での公募に応募するのには大変な勇気がいる。


それでもいいのだ、と思わなければならない。

戦うことに意義を見出す。

挑戦することに意義を見出す。

大義に殉じる、という趣の覚悟が必要である。


こういうことが分かって、なお名乗りを上げる人は武士(サムライ)である。

私は、そういう向こう見ずなサムライが好きだ。

新しく公募で候補者に選ばれた方々へ(2)ー車から降りる

2011-01-17 07:11:20 テーマ:選挙

若い方々はご自分で運転されるのだろうが、これからは自分で運転することはなるべく避けた方がいい。

睡眠時間をどんどん切り詰めて、自分の体力の極限まで酷使する生活が始まる。

必ず眠気が襲ってくる。

交通事故など起こしたら、その時点で政治活動からリタイアしなければならなくなる。


各種の会合に出て挨拶をさせてもらう機会が増えるはずだ。

アルコールを上手に断わる方法を身に付けておかなければならない。

万一飲酒運転の嫌疑でもかけられ、マスコミに嗅ぎ付けられたらそこで政治生命が絶たれる。


公職の候補者に擬せられなければなんでもなかったことが、一旦選挙に出るということになったら命取りになることが沢山ある。


私は、議員会館で自分の車を使うときは、当然後部座席に座っていた。

しかし、地元に帰って地元の車を使うときは運転席の脇の助手席に座っていた。

お葬式のお通夜や告別式、公的な会合に来賓として出席するときなどは自分の姿かたちを革める、という趣旨で黒塗りの大きな車で出席したが、普段は小さな白い車の助手席が私の指定席であった。


すべて意味があることである。


しかし、最初の選挙の頃はそのことの大事さが良く分からなかった。

私は、第一線の弁護士としてそれなりの事務所を張って様々な事件に取り組んできたから、ある意味で周りの人を弾き飛ばしかねないエネルギーをあたり一面に発散していたのではないかと思う。

それこそ暴力団とか右翼と言われる人たちや過激な左翼的労働組合の人とも真正面から力比べするような生活も経験してきたから、鼻っ柱が強かったことは間違いない。


手を後ろに回して、胸を張って挨拶をしてしまう。

私の最初のポスターの写真は、まるで現役のプロレスラーのようだった。

地元の候補者選びの会場で挨拶するように依頼されて会場に駆けつけたときに私が着用していたのが、当時大事な会合に出席するときに着ることにしていたダブルの背広だった。


おやおやおや。

多分、地元の皆さんは違和感をもたれただろうと思う。


何か違う。

これから選挙に出ようとする人の雰囲気ではない、ということだろう。


これからは、車を降りて自転車で回ることだ。

目的地に向けて一目散で急ぐ必要はない。

遠回りしてもよい。


すべてが新しいことばかり。

新しい世界に足を踏み出したという喜びを噛み締めながら、初めて通る道を存分に楽しむことだ。

体力のある人は、自分の足でどんどん歩け。

車から降りる、というだけで世の中の様子が違って見えてくるはずだ。

補論 新しく公募で候補者に選ばれた方々へ(1)

2011-01-16 10:40:45 テーマ:選挙

私は、党派を超えて、これから国政や地方選挙に挑戦されようとしている意欲ある方々にとって、ある意味での守り神になりうる素質があるのではないかと思っている。


現職の弁護士で、4回もの落選経験のある自民党の元国会議員は私しかいない。

しかも公職選挙法や政治資金規正法の改正作業のみならず、かつては自治省、富山県庁の職員として選挙管理事務にも従事したことがある。

司法、立法、行政の3分野の表舞台で仕事をしてきたことに止まらず、選挙という生臭い政治の裏舞台の第一線でも15年近く生き抜いてきたのだから、これから各級の選挙に挑戦しようとする人は一度は私の門を叩かれたらいい。

特にこれまで選挙というものに携わったことのない方々は、まず私のところに来られた方がいい。


選挙の世界では、まず常識が通用しない。

自分の常識を選挙の世界の常識に合わせるか、それとも選挙の世界の常識を自分の常識に合わせるか。

その戦いを経験しなければならない。

自分の常識を選挙の世界に常識に変える戦いに勝利した人は、いない。


そういうことを知っておいて戦いに臨めば、少なくとも選挙に失望することはなくなる。

当面どこの政党から名乗りを上げられるにしても、高い志を持っておられる有為な方々に対しては、党派を超えて応援してまいりたいと思っている。


先日、県会議員選挙に立候補するという決意を固められた市会議員の方が自宅に挨拶にこられた。

自民党の選挙区支部長であった私を長年親身になって応援くださった方である。

私が次の衆議院選挙でみんなの党から立候補するという噂になっているので、挨拶に来るのを躊躇されていたとのことだったが、よくぞ決意されたと思う。

無所属での戦いはきついだろうが、今は自民党とか民主党のブランドで戦う時代ではなくなってきている。


新しい時代。大きな和を作ろう。

これが、私のメッセージである。


挨拶がない

2010-01-18 07:05:07 テーマ:選挙

これも業界用語だろう。


あそこに挨拶に行ったか。

まだ俺のところには挨拶に来ない。

挨拶に来ないと言っているよ。


はじめて立候補するときに何度かそういう言葉を耳にした。


あ、先日ご挨拶にお伺いしました。

これまで3回挨拶に伺っておりますが。


挨拶の意味が違うのである。

古い慣習に囚われて地域では、挨拶に行くというのは、何らかの手土産を持っていくこと。

挨拶がない、というのは手ぶらで来たということ。


そういう風土の中で、ベテランの保守政治家は育ってきた。

うちにはまだ挨拶がない。

怒声でそういうことを言う秘書が何を要求していることは明らか。


私は、そういう文化を、革めたかった。


私が人気がないのも、そういう類の挨拶をしないことにしたから。

14年間も頑張り抜いたから、私の地元では私にそういう挨拶を期待する人はいない。

私がしてきたのは、毎朝の駅頭での朝の挨拶だけ。


おはようございます。


怪訝な顔をする人もいたが、おはようございます、は、いい挨拶だ。


公募に応じるなら参議院候補か補欠選挙候補

2010-02-08 09:52:13 テーマ:選挙

これはチャンス、と思っておられる方々が多いと思う。

しかし、公募候補者がどういう人生を辿るか、ということを知らされないままこの世界に踏み込んでしまうと、後悔することの方が大きい。

まず10年間、地を這うような、土を舐めるような努力が必要である。

辛酸を舐める、という言葉があるが、正しい。

これを乗り越えた人は、力のある政治家になる可能性がある。


しかし、知名度のある有名人や有力政治家の2世、3世には、それでも敵わないかも知れない。

公募候補者は、候補者に選ばれてしまったら、後は自分で道を開いていかなければならない。

二階に上げて梯子を外す、というのではなく、小船に乗せて、さあ後は自分で漕いで行ってください、という感じだ。


全国で注目されている選挙区の補欠選挙の場合は、かなり様子が違う。

あらゆるマスコミが注目しているから、メディアを通じて候補者の人と形が世間に喧伝される。

無名の人間が一挙に有名人の一人になることも可能だ。

一種の総力戦になるから党本部からの資金投入も潤沢に行われる。


こういう候補者公募を経験した人は、いつでも同じように行われていると錯覚するだろうが、そんなことは不可能。

一般の候補者公募は、候補者本人の努力にすべてかかっている、と思った方がいい。

よほどの資金的な裏付け、組織的なバックアップがないと候補者公募に応じても先がない。

いい資質の持ち主だということが分かっても、それだけでは最終選考には残らない。

これが現実の姿である。


公募で選ばれた候補者が知っておくべきこと

2010-07-21 12:54:15 テーマ:選挙

選挙、という映画があった。


市会議員の補欠選挙に公募で選ばれた候補者の選挙運動の実態を、比較的正直に映像化している作品である。

これから選挙に出ようとしている人たちには、いい勉強材料になるだろう。


この補欠選挙に立候補した自民党の公募候補は、当選した。

しかし、次の選挙には立候補出来なかった。


補欠選挙は、1人を選ぶ選挙である。

自民党の、組織を挙げての選挙となる。

すなわち、自民党に所属している現職の市会議員等の応援を受けての選挙である。

本人の知名度がなくとも、応援する市会議員やその後援会の力を借りて当選することが出来た。


しかし、次の選挙では、補欠選挙で応援してくれた人も、いわば敵になる。

補欠選挙で当選したのは自分の力、などと自惚れていると、とんでもないことになる。


そういうことはあり得ないのが、選挙である。

私は、補欠選挙で当選した地方議会の議員が次の選挙では涙を呑まざるを得なかったケースを、何度か目の当たりにしてきた。

地方議会議員の補欠選挙で当選した人は、まずそれでお終いにするのが穏当なところである。


さて、国政選挙の場合はどうか。

国政の補欠選挙で当選した人は、大体は強運な人である。

補欠選挙は、当然組織を挙げての選挙となる。

時の執行部の命運がかかっているから、まずは潤沢な選挙資金が本部から拠出されるだろう。

全国の注目を浴びるだろうから、マスコミが取り上げる回数も自ずから増え、候補者の露出度がアップする。

それまではまったく無名の候補者が、あっという間に知名度を上げる。


ここが、国政選挙と地方選挙が違うところ。

補欠選挙で当選しても、当選は当選。

次の選挙の時には、まず間違いなく公認候補となる。

公募が一番有効なのは、補欠選挙の候補者だと私は思っている。


だから、どうせチャレンジするなら国政の補欠選挙に限る。

これが、私の皆さんへのアドバイスである。

さて、通常の衆議院議員選挙の小選挙区の公募候補者の場合は、どうか。

たった一人を選ぶ選挙だから、基本的には組織と組織との戦いになるはずである。

だから、公募で選ばれた党の公認候補に組織の票が自動的に全部流れるように思えるだろうが、そんなことはない。

そもそも、組織の票など無いも同然だ。


子どもは、親の言うことを聞かない。

従業員は、社長や上司の言うことは聞かない。

夫と妻は、それぞれ別の行動を取る。

自分のことを皆、聞くはずだ、と思っている人がおられるが、さて、本当に何人の人が自分の言うことを聞いてくれるか。

10人も自分の言うことを聞いてくれる人を持っている人は、大変な人望家か実力者、あるいは気前のいいお大尽である。


そんな人は、すっかり見かけなくなった。

通常の国政選挙では、党本部の職員や秘書が一部の選挙区だけに張り付く、などということはあり得ない。

党本部の潤沢な選挙資金を使って、存分の選挙運動を展開する、などということもおよそあり得ない。

公募候補は、いわば落下傘候補である。


落下傘の下は、敵ばかり、ということも無いわけではない。

衆議院議員選挙の公募候補者は、大変な苦労をする。

それだけは覚悟しておいた方がいい。

全部自分で稼いでいくつもりでいれば、まず間違いない。

足で稼ぎ、口で稼ぎ、頭で稼ぎ、とにかく自分を売っていかなければならない。

若い人や女性は比較的有利だが、それでも苦労はする。

その苦労を自分の喜びに転換できるかどうかが、成功不成功を決める鍵になる。


私は、名乗りを上げてから8年かかった。

二度の衆議院選挙、一度の参議院選挙を経て、四度目の国政挑戦でようやく国会へのパスポートを頂戴した。

苦労を喜びに変えることが出来るのであれば、皆さん、どんどん次の衆議院議員選挙の公募に応じていただきたい。

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