コントロールできないものをコントロールしようとして陥った落とし穴ー徳洲会事件
今朝の新聞各紙を読んで徳洲会事件の深刻さがよく分かってきた。

廃棄指示のある部外秘文書の写真らしきものが新聞の紙面に掲載され、新聞各紙に多数の事件関係者の証言らしきものも載っているから、大分以前から内部告発があったことは歴然としている。
内紛を抱えた組織を力づくで纏めようとしても無理だということが、どうやら関係者には分かっていなかったようだ。

これで地域医療を担っていた多数の医療機関が存亡の危機を迎えることになるのだから、ずいぶん愚かなことだ。
多分過去の経験の延長上でこのくらいは大丈夫だろうと素人判断で来たのだろうが、これで何千人もの人が路頭に迷うような結果になるとしたら、そういう軽率な判断をした人やそういう軽率な判断を鵜呑みにした人の責任は大きい。

こういうことをしてはならない。こういう事態を招いてはならない、と口を酸っぱくして警鐘を打ち鳴らしてきたつもりだが、馬の耳に念仏だったようだ。

選挙は、ボランティアでなければならない。
そのことを改めて強調しておきたい。
選挙の応援をさせるために業務指示を出す、などというのは論外である。

他人の心をコントロールしようとしても無理だったのだ。
その無理を押し通そうとしたところに徳洲会の過ちがある。

この事件は、拡がる。
なにしろ奥行きが広そうだ。
何が飛び出すか分からない。

選挙の王道を踏み外した人に道を教えることは難しい。

今更本当のことを教えても大して役には立たないだろうが、それでも道を誤った人は本当のことを知っている人に一日も早く正しい道を尋ねた方がいい。