政見放送を見ることは殆どなかったが、今回も同じだ。
私自身は、見ない。

私は見ないが、誰かが見て感想を言う。
その感想を聞いて、それでは見てみようかしら、ということになる。

共産党の出来がいいらしい。
若さが良く出ているらしい。

昔、志木駅南口で朝の挨拶をしていた時に一人の女性がニコニコしながら私に近付いてきた。
志位さん、頑張ってください。

襷もかけず、単に駅に立っておはようございますと挨拶を繰り返している私を共産党の志位氏と間違えたようだ。
え、と思うが、どこか似ているようだ。

案外、共産党は一般の有権者に受け容れられるような要素を持っている。

こんなところにも共産党がかなりいい成績を残しそうな兆候が現われている。

これと対照的なのが社民党のようだ。

何だか党首が一人で仕切ろうとしている。
お喋りだ。
いや、出しゃばりだ。

一人の主婦の率直な感想だが、こういう感想がよく当たる。

こういう感想を聞いただけでどんな政見放送か大体想像できるから、あえて見ない。
社民党は、どうやら広報戦術を誤まったようである。

もっとも、広報戦術の善し悪しは選挙結果を左右しない。

なにしろ、期日前投票開始から3日間の期日前投票が例年の3割増しだということだ。
選挙公報も出来ていない、政見放送も見ていないのに投票してしまうのだから、選挙期間中の選挙運動は殆ど有権者の投票行動に影響しない。

私自身、各政党の政見放送に一度は目を通そうと思っているが、実はもう投票する相手は事実上決めてしまった。
私の手元には選挙公報は届いていないが、選挙公報の出来栄えの善し悪しで投票する相手を決めることはない。
手書きの選挙公報でさえなければ、選挙公報に何が書かれててもいい。

既に新聞報道を通じて、誰に投票したら自分の一票が活きるか、という判断材料は獲得済みである。

私を含めて殆どの有権者にとって選挙公報も政見放送もインターネット選挙運動も関係なかった、ということになりそうだが、それでも、これから残された10日間の各候補者、各政党の選挙運動をよく観察しておく必要はある。

見られている、という意識は政治家を鍛える。
どんどん見ることだ。
そして、どんどん感想を書き込むことだ。
皆さんの書き込みの多寡や書き込みの内容でその候補者のインターネット選挙運動が良かったか悪かったかを判定することになる。

誰からも無視をされてしまうということは、やはりその候補者のどこかに問題があるということだ。