法律家の感覚からはどうしても危ない、お止めなさい、と言わざるを得ない文言や写真がフェイスブックに堂々と掲載されている。

私だったら、当選後の挨拶行為に該当しそうだったらそう気が付いた時点で該当部分を削除するものだが、さて今どきの若い人たちはどう対処するだろうか。

中堅の弁護士から、こういう行為は当選後の挨拶行為に該当すると言わざるを得ない、多少の文言を変えたからと言って裁判所が認めるはずがない、法律家としての自分の感覚が鋭すぎるのだろうか、という感想が寄せられたが、これはご指摘のとおりである。

こういう問題をどう考えるか。

実に悩ましいが、私の回答は下記のとおり。
参考にされるも良し、されないのも良し。
いつものとおりである。

「本当に小手先の対応です。

警察の摘発事例を研究して、摘発事例にそっくりそのまま引っ掛からないようにごく一部の表現を変える、という手法です。

詐欺的商法でよく見かけるやり口ですが、現場ではとりあえずこういうやり口が有効です。
摘発事例とは違う、という抗弁を出すと警察当局は検察庁や警察の上層部と検討することになって改めて立件の可否を決めることになります。
現場で即座に対応できないような案件に遭遇するとマニュアルで動く警察官はそう簡単に動けなくなる、ということでしょう。

当選してしまうと事実上誰も問題にしないからこれが罷り通り、段々先例化していくからますますこういった手法が拡がり、やがては公職選挙法の規定の潜脱が常態化する、というプロセスです。
ただし、大事な時にこれが問題化することがあり、それまで問題視されなかったことがやはり間違っていた、となることもあります。

公職選挙法の条文や判例、先例を読むだけでは、なかなか全体像を掴むのが難しい所以です。」