2013-05-29 05:08:39 テーマ:選挙
墨を流したような闇夜、という言葉をご存知だろうか。
真っ暗闇な世界に置き去りにされた人が求めるのは、何か、ということをよく考えていただきたい。

阪神淡路大震災の後で被災者の方々から発せられた言葉で私の心に強く残っているのが、灯りが欲しい、という言葉だった。
阪神大震災の追悼の式典などで多くの蝋燭に火が点される。
亡くなられた方々への慰霊のための灯ではあるが、私は闇夜の中で点された灯りを想う。

この灯りを消さないで欲しい。
この灯りをいつまでも引き継いで欲しい。
そういう願いを聞いたことがある。

オリンピックの聖火にも同じような意味が意味があるように思う。

弁護士の役割は、墨を流したような漆黒の闇に灯りを点す仕事である。
蝋燭程度の灯りか、懐中電灯程度の灯りか、それとも煌々たるサーチライトのような灯りか、さらには月の光か太陽の光かの違いはあるが、弁護士がいるだけで灯りが点る。

選挙の取締りの経験がある警察官のOBが一番頼りになるんじゃないか、という話をされていたが、頼りになるところもあるが、決定的なところで頼りにできない。
選挙管理委員会の経験のある人も頼りになるところがあるが、選挙の現場では殆ど頼りにならない。
何度も選挙を仕切った来た経験があり、何度も警察の取り調べを受けた経験のあるベテランの国会議員の秘書や元秘書は大いに頼りになり、こういう人は世俗的には選挙の神様と言われるが、決定的なところで弁護士ほどには役に立たない。

刑事事件を経験したことがある人なら、すぐ分かることだ。

かつて1万円札をコピーし、コピーした1万円札をタクシーの運転手に渡して通貨偽造、偽造通貨行使・詐欺の容疑で逮捕された青年がいた。
警察の留置場でこの青年は、これで自分は一生外へ出れなくなるのか、と自分の愚かな行為を悔やむと共にひどく嘆き悲しんだそうだ。

逮捕されると当然外部との接触が出来なくなる。
友人や家族に連絡することが出来ない。
どうしたらいいのかまったく分からない。
自分がどうなってしまうのか分からない。

明かりは点いている。

しかし、留置場にいる若者は、自分がどこにいるのか分からない、自分がどうしたらいいのか分からない、右へも左へも行けない、自分の将来がどうなるのかも分からない、そういう状態に置かれてしまう。
一生このままの状態が続くのか、もう自分はこれで終わりか、などと思ってしまうのは、何も知らない青年にとっては普通のことだったかも知れない。

刑事事件の容疑を掛けられていきなり身柄を拘束された人が迎えるのは、こうした闇である。

家族も友人も面会が出来ない。
弁護士しか本人と会えない。
弁護士だけが被疑者の灯りになれるのである。

蝋燭の灯りでも役に立つ。
電灯の光だったらもっと役に立つ。

見えないものが段々見えるようになるのだから、絶対に弁護士は必要だ。

ただ周りがぼんやり見えるようになっただけでは、まだ足りない。
とにかく歩くべき道筋が見えるようにすることが必要だ。

歩いたことがない人は、自信を持ってこの道を歩いたらいい、とは言えないはずだ。
灯りを点けることは弁護士であれば誰でも出来るが、その先に進むには多少の勉強なり経験が必要になる。

弁護士選挙研究会は、ほんのちょっとだけグレードの高いガイド弁護士を養成するための研究会だと言ってよいだろう。